角が立った硬い蕎麦をズズズとすすり、喉ごしで味わうのが江戸蕎麦の粋ってもんよ!…江戸蕎麦の常識も実は、かつては全く正反対のものだったという。江戸蕎麦のこだわりとは何か。そして何が正反対だったのか、について探っていきたい。
⒈エッジの効いた江戸蕎麦を支える麺棒使いとソバ切り
江戸蕎麦と言えば、鋭く立った角に、硬く長く細い麺。喉越しと香りを楽しみながら、乾かぬうちに一気に手繰る。これが江戸蕎麦の粋。
喉越しが旨い蕎麦に仕上げるのに欠かせないのが、麺棒使いとソバ切りの技術。蕎麦生地を均一に広げ、同じ細さにソバ切りを行うことが非常に重要で、蕎麦の出来を左右すると言っても過言ではない。しかも、時間をかけると蕎麦が乾燥してしまうので、手早くやらねばならないという制限付き。
全て手打ちにこだわるのも良いが、江戸蕎麦の醍醐味である喉越しのために、現代では機械切りを活用するのもアリなのではないだろうか。
⒉キリリと締まった冷たい江戸蕎麦もかつてはぬるかった
エッジの効いた細い江戸蕎麦に欠かせないもう一つの要素が、キンキンに冷えていること。茹でた蕎麦に冷たい水をかけて冷やすのだが、ここにもこだわりが見える。
それは『面水(つらみず)』という手法。ただでさえキレやすい細い江戸蕎麦の茹で上がりは、なお切れやすい。そこに上からジャブジャブと勢いよく水をかけては、蕎麦が切れてしまう。そこで、一旦水を手に当てて、水の勢いを落とし、満遍なく蕎麦に水をかける手法を面水という。これによって、江戸蕎麦は細長くかつキンキンなのである。
しかし、かつての江戸蕎麦はキンキンどころか、ぬるかったという。緩い蕎麦はそれ以上伸びることもなく、ゆっくりと食べられていた。冷たい蕎麦をズズズとすする江戸蕎麦の常識は、時代の流れによって江戸がせわしない場所になったから生まれたものなのかもしれない。
⒊蕎麦つゆの代表は味噌だった
江戸蕎麦と言えば、鰹出汁ベースの醤油が入った黒い蕎麦つゆ。つゆに蕎麦の先をちょっとだけつけてすするのが江戸蕎麦の粋。だが、蕎麦つゆも元々は味噌をベースにしたものだった。味噌と大根の汁を溶いたものに、大根おろしや浅葱など、今で言う薬味の類を入れたつゆらしい。
時代が進むにつれて、味噌に醤油が加えられるようになり、さらに醤油をベースにした蕎麦つゆが誕生した。鰹出汁が使われるようになったのは、江戸時代中期以降と考えられている。
まとめ
江戸蕎麦の常識も時代が変われば、中身も違うもの。蕎麦も蕎麦つゆも時代に合わせて進化してきたようだ。ただ、いつの時代も蕎麦が好きで、こだわりがあったのが江戸の人々。かつての江戸の人々の粋に思いを馳せつつ、現代江戸蕎麦の粋を追及するのもまた、粋なのではないだろうか。