お蕎麦豆知識

日本の『蕎麦』の夜明け

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1.蕎麦は中国から日本に来た

日本全国、津々浦々にある、蕎麦屋。お蕎麦は、私たち日本人の心を離さない、和の食。そばの歴史は古く、実は、縄文時代にまでさかのぼる。今から約5,000年前の、縄文前期末の遺跡から、蕎麦が栽培されていたことを示す痕跡が発見されているというのだから、驚き。さらに、1万年前の遺跡から、蕎麦の花粉が見つかっている。いやはや、想像以上に、私たちと蕎麦の付き合いは長いらしい。
日本に、最初に蕎麦が入ってきたのは、対馬と考えられている。世界で蕎麦を最初に栽培したのは、中国西南部とされているので、中国大陸にほど近い対馬から、日本全国に広がっていったというのは、なるほど、合点がいく。対馬から、九州、本州と蕎麦は伝播され、最終的には、縄文時代のうちに、北海道まで伝わったようだ。

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参照:http://hirox2.com/

2.蕎麦の栽培や食べ方

ただ、蕎麦の栽培は、なかなか難しかった。最初に日本にやってきた蕎麦が、現代日本に存在する蕎麦と遺伝子的につながっているかと言えば、それは疑わしいらしい。蕎麦は、何度も、伝播と栽培の失敗、断絶を繰り返しつつ、今日、私たちの食文化に欠かせない存在になったのだ。そう考えると、ますます、蕎麦が尊く、いとおしいように感じる。
ちなみに、当初の蕎麦の食べ方は、正しくはそばの実の食べ方は、現代の蕎麦の食べ方とは、かなり違ったようだ。外の皮を剥いて、粒をご飯のように炊いて食べていた。もしくは、お米と混ぜて炊いて食べたとか。それじゃ、雑穀ご飯と一緒じゃないか!あの、ツルツルとした、のどごしこそ、お蕎麦の醍醐味。それを知らずして食していた縄文人に教えてあげたい・・・その後も、すぐに『麺』という形はとらず、粉にした後、餅のようにして食べる時代が長く続いたようだ。
そして、ついに、その時が来た!蕎麦のよさを最も味わえる(と、私は考える)、『麺』という形になる日が。それが、15世紀~16世紀ごろらしい。急に最近の話だ。とは言っても、“サムライ”の時代。現在までにすでに500年くらい経っている。いやいや、それにしても、ここまで長かった・・・1万年も前に、日本に蕎麦が存在してから、蕎麦の良さをもっとも惹きだす、『麺』という形にたどり着くまで。

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参照:http://www.horokanai-kankou.com/

3.『蕎麦切り』の原点

麺食としての蕎麦、つまり、『蕎麦切り』となって、全国に広がった背景に、興味深い存在がある。『蕎麦切り』の広がりに欠かせなかった存在、それが、寺院だ。寺院が蕎麦切りと密接な関係を持つのには、訳がある。水車と石臼を使った製粉技術を、中国から持ち帰ったのが、『聖一国師(しょういちこくし)』という、臨済宗の僧侶だった。
以後、臨済宗の寺院を中心として、そばの麺食が広がり、その流れの中で、『蕎麦切り』も広がっていったようだ。そう思うと、年の瀬に、お寺の除夜の鐘を聞きながら、『年越し蕎麦』に舌鼓を打つことが、いっそう趣深い。今年の大晦日は、例年以上におソバがおいしく感じられそうだ。
昨今の大晦日は、家族で団らん、カウントダウンのイベントやテレビなどで、我々は何かと騒がしい。しかし、大晦日こそ、除夜の鐘が鳴るその瞬間は、私たちもテレビを消して、静かに、おいしいお蕎麦をいただこう。

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参照:http://webmemo.biz/

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