1.そば屋が駅前にあるのではない、そば屋の後ろに駅ができたのだ
そば屋というと、どこにあるイメージだろうか。閑静な住宅街に佇む、“高級な”蕎麦屋をイメージする人もいるだろうが、多分、多くの人が『駅前』を連想するのではないか。駅前と言えば、どこであってもその地域における一等地であることがほとんど。ということは、そば屋はそもそも裕福だったということか?いやいや、これはどうも違う。結論を言うと、蕎麦屋をつくったところに、のちに駅ができるなどして栄えていった、というのが答えのようだ。これは面白い。一体、どういうことなのだろうか。蕎麦屋が進出したところがのちに栄える、ということの始まりは、明治時代にさかのぼる。
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/
2.そば屋とSLの意外な関係
明治時代、急速に近代化が進んだ日本では、蒸気機関車、いわゆるSLが走るようになった。しかし、当初SLは、地響きとも言える騒音、煙、火の粉などから、反感の嵐。そのため、人が生活しているようなところを走らせることができない。とはいえ、SLは人が乗る物。人が寄り付かないようなところに、線路を作るわけにはいかない。ということで、人里と野山との境にあたるような距離に、線路が作られることになった。
線路を作る現場は、前述したように人里から離れていたため、作業員は現場近くの宿舎に寝泊まりする。工事の資材置き場も兼ねた宿舎は、線路完成後は駅が作られる予定で、敷地面積にも余裕があった。
宿舎には、“ケンカを防ぐ”という観点から酒もなく、作業員は日々、仕事をして宿舎で寝泊まりするだけの生活。仕事後の楽しみに欠ける場所だった。
参照:https://search.yahoo.co.jp/
3.日本の近代化を支えた蕎麦
ところ変わって、町中。江戸時代に広がったソバ文化は、明治時代も続き、町中にそば屋があふれかえっていた。すると、競争が激化する町中でのそば屋の出店を避けようとする動きが・・・そこで目を付けたのが、前述の工事現場。
宿舎周辺の余裕ある敷地に、蕎麦屋が出店。ソバと、作業員の楽しみ、酒を提供した。そうこうしているうちに、線路が完成し、宿舎だったところは駅となる。結果として、「そば屋が駅前にある」状態となった。
当初は不評だったSLも、やはり便利なので、駅ができれば、人が集まることになる。駅の周辺は次第に住宅地となり、人々の生活に必要な商店ができた。八百屋、魚屋、酒屋・・・生活必需品がそろうようになると、今度は嗜好品を売るお店ができる。お菓子屋、お茶屋、呉服屋、といった具合に・・・
こうして駅を中心としてできあがった街に、現代を生きる私たちが住んでいる。私たちからすれば、一見、「そば屋が駅前にある」状態だが、歴史はその反対。「そば屋があったところに、駅ができた」のが実のところ。その事実を知ってしまうと、「そば屋って、なんか、すごいな」と感じずにはいられない。何しろソバは、工事現場の人たちの心のよりどころとなったという意味で、日本の近代化を支えたのだから。
駅前のそば屋を侮ることなかれ。今後、駅前のソバをいただくときは、そのような歴史に思いを馳せながら、ソバをかみしめたい。